よく耳にする、この言葉。いったい、どういうことを言っているのでしょうか?まごころ【真心】偽りや飾りのない心。真剣につくす心。 果たして生きていく上で、どれだけの人が『真心』を尽くしているでしょうか。良いか悪いか、ではなく知らず知らずに天秤にかけてしまう。計算してしまう。損得を考えてしまう。だって、それが人間だもの。けれど、あなたは今、自らを省みました。そんな自分もいることを、改めて感じました。いいんです。それで。たった今から、自問自答して下さい。人に優しくしたり、親切にするのは『真心』なのか。そのうち本当に、天秤にかけない、計算しない、損得もない、『真心』をつくすのが、真の心になりますから。あなたは、あなた自身の手で、自らの魂を磨いていますか?答は全て、自分自身の中にある。
心のオアシス
魂のトランスフォーム!
(スピリチュアルライフコーディネート)
『矛盾』の意味を、明確に捉えられていますでしょうか?むじゅん【矛盾】前に言ったこととあとに言ったこととが一致しないこと。一般に、理屈として二つの事柄のつじつまが合わないこと。または、思考・言動・行動の不一致。人の「悩み・苦しみ・葛藤」の原因は、大抵ここに行きつきます。『幸せになりたい』と思いながら、口から出るのは不平・不満ばかり。『愛されたい』と思いながら、いつも愚痴と文句ばかり。『大切にされたい』と思いながら、状況・環境・相手のせいにしてばかり。一体、誰の人生の事でしょう?欲(我)と感情に振り回され、本当の心(己)を見失い、同じような失敗を繰返し、やがて更に負の状況に嵌まりこみ、深みに呑み込まれて行くつもりですか?そろそろ眼を醒まさなければ、あなたの向かう未来には『孤独』という、恐ろしい世界が待ち構えているだけ、ですょ。人が言葉をかけてくれるのは、少なくとも、気にかけてもらっている証です。例えそれが、自分にとって欲しい言葉では無いとしても。その言葉の先には『愛情』があります。本当に辛く、苦しく、寂しく、哀しいのは『誰からも相手にされないこと』です。誰かが何か、言葉をかけてくれる間は、あなたは決して『孤独』では、ありません。しかし、そのままずっと『偽りの自分』でいると、周囲の人は居なくなります。『感謝の心』を持てない人は、全てを自分以外に責任転嫁します。でも、もう一度、考えてみて下...
最近、耳にすること多くなりましたね。さて、では意味をご存知ですか?ほんしつ【本質】そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。では「人の本質」とは、何なのか?ここは大変、重要なポイントとなります。例えば、いつも明るく元気イッパイな人がいます。一見、とても良いことに感じられますが、その在り方で無くてはならない、隠されたその人の本質を探ります。人によって違いますが、まず間違い無いのは「争いを避けようとしている」ことに、間違いはありません。大切なのは、その先を詠むことです。根本に「孤独感」「孤立」「敵意」を避けたいといった心理が働いていたり、時に自分を守る「防御」だったりします。それは、本当の自分を見透かされない為の、偽りの在り方です。本当は「寂しい」「苦しい」「辛い」「苛立つ」「悔しい」「残念」など、自分の中のネガティブな部分を隠す為(時に反応で、無意識)に、いつも明るく元気イッパイな在り方なのです。いつも偽りの在り方をしていると、人は往々にして、本来の自分(本質)を見失ってしまう事があります。これは『本質』と、実際の『在り方』に矛盾が生じて来ます。その矛盾は、やがて『葛藤』に形をかえて、人生は本来と違った方向へと進む事に成り行くのです。「こんなハズじゃ、無かった」「何かが、違う」「こんなの、自分らしくない」これは、あなたの『魂の叫び』に過ぎません。その声にキチンと耳...
『功徳』という言葉を、ご存知ですか?仏教や神道に触れた事のある方は、あるいは耳にされた事、あるかと思います。『功徳』とは、「善い行いに対し、神様や仏様から与えられる報い(御利益)のこと」と記されています。そう聞くと、人間は『功徳』とは自分にとって「特別な良いこと」がある、と想像します。しかし、この世に誕生し「生命」を授かり、色々な経験を重ね、今も呼吸し、思考し、観て、聴いて、喋って、お腹が空いているのも「生きる事を、与えられている」いわば『功徳』を頂いている、何よりの証です。もしも、自分の望んでいない出来ごとや、自分のしたくない経験や、自分には都合の良くない状況にあったとしても、「生命」があり、生きる事を許されているのは、あなたはまだ、この世に必要だからです。そして、あなたの「悩み」こそが、あなたの人生を方向づける『課題』なのです。向き合わず、避けたり、楽をしようとすると、ちゃんとまた、気付きを頂きます。これは『因果応報』で、宇宙の法則です。けれど、『自分の課題』として受取り、真摯に向き合い、精一杯のりきる姿勢(心の動き)を、天は全てお見通しです。毎日の一瞬、一瞬の積み重ねこそ、先の『功徳』に繋がっています。特別な事は、何も必要ありません。毎日を精一杯、不平・不満ばかりに心を奪われず、常に人に優しく、自分を省みて、心は清く、身は低く、感謝の心で過ごしていれば、必ず「人生は帳尻があう...
『感謝』の心、それは本物かしら?人はよく、『感謝』という言葉を使います。正しいとか間違っている、という次元の話ではなく、その言葉そのものを、安易に口にしていないか、を省みると、見えて来ます。大抵は「概念」で捉えていて、「観念」には落とし込めていない、ということ。『感謝』は、合掌の心。有り難くて思わず、手を合わせてしまう、思いです。そこに『感謝』の心があれば、恩を仇で返すような事は、いたしません。もしも、感謝する相手に後ろ足で砂をかければ、天は必ず気付きを与える事でしょう。それは『因果応報』であり、宇宙の法則です。逃れる事は出来ません。つまり、その気付きを与えられる原因は、全て「自分自身」なのです。本物の『感謝の心』が宿れば、決して人に、後ろ足で砂をかけるような事は、しなくなります。大切なのです。あなたの中に、『感謝の心』は根付いていますか?それは、しっかり「観念」として、存在していますか?
あなたは人の心を、本当に知っていますか?人は、いつも自分の事で精一杯です。誰かの事を、本気で思い続けるのは、とても難しいこと。だから、人が自分の事を本気で思ってくれているなんて、全く知りません。ゆとりの無い人ほど、その事には気づけません。本当に、気の毒でしか、ありません。一番、自分の事を思いやってくれる人を、自分から拒絶してしまうのが、人間です。なぜなら、『自分は、そんな心を持っていないから』相手の思いに気付かされるのは、うんと、ずっと後になってから。そのとき手にするのは、『後悔』の二文字です。あなたは『後悔』していませんか?人の心を、本当に理解していますか?
人生に、何を求めますか?『命』とは、限りある自由な時間です。「スティーブジョブス最後の言葉」 (抜粋 管理者) 仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。人生の終わりには、富など私が積み上げてきたモノは人生の単なる事実でしかない。 病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。 私がずっとプライドを持っていたこと、認められること富などは、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。 この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。 神の息を感じる。死がだんだんと近づいている… 今やっと理解したことがある。 人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。 もっと大切な何か他のこと。 それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。 終わりを知らない富の追求は、私のように、人を歪ませてしまう。 神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされる幻想ではなく、 愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち取った富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。 私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。 これこそが本当の豊かさであり、あなたと...
今夜は、満月です。もう、夜空を見上げましたか?月には『浄化』のパワーがあります。疲れた心を癒してくれます。乱れる心を穏やかにしてくれます。宇宙のエネルギーで、乱れた波長を整えましょう。パワーストーンも、月光でエネルギーを整え元気にしましょう。桜も満開。満月とのコラボレーションを楽しみましょう。
聞いたこと、ありますか?日本の魂の源であり、古くは聖徳太子の残した遺産(日本の財)とも言われています。世界中の経営者達を成功に導いた、教えです。現代も、皇族や財閥の家系で引き継がれています。つまり、一般には触れる機会はまず、ありません。帝王学が、大体はどのようなものかを知る事があったとしても、天からの使命に気付ける魂にだけ、奥深く、己のものとすることを許されます。時に「少しかじった事があるが、大した内容ではなかった」などと、口にする人もあるが、それは天より振るい落とされ、己の真の力として与えられなかっただけの話です。天に与えられた使命に気付ける事がなければ、帝王学は宝の持ち腐れにすぎません。つまり、わかりやすく言えば「その道の天下を修める事を許された人間」の、修得しうる教えなのです。私は、この教えをお伝えさせて頂く使命を授かっております。私の使命は『魂』つまりは、愛について御導きさせて頂きます。人間は『愛』を学ぶ為に、この世に生を承けました。『愛』を失うと、人格が崩れてしまう場合もあります。『愛』を知らなければ、人格に偏りを生じる場合もあります。『愛』を見失うと、欲と感情にまみれ人生を踏み外す原因になり得るのです。私のお伝えする『帝王学』は、欲と感情に支配される事なく、己こそが己の支配者となる魂へと、御導きさせて頂きます。人は、欲と感情に支配され、己を見失ったとき進むべき途を踏み外...
学びには、いくつか種類がありますよね?一つは、学校などで得られる『知識』また、趣味のスクール等で得られる『技術』あとは『資格』などもありますね。私自身、誰にも出来ない『経験』から、最高の学びがあります。虐待・姉の死・イジメ・友人の死・大病・事故・DV・離婚・再婚・パワハラ・転職・ヘッドハンティング・鬱・独立・多額の負債・奇跡の来訪など。『生きる事を考える』テーマパークような人生です。たくさん人の裏切にもあいましたし、優しさにも触れましたし、傷ついて、泣いて、反発して、強がって。傷だらけだけど、誰より強いハートが手に入りました。そして、偉大なメンターと出会い、才能を開花させて頂きました。人生まるごと、ハンティングされました。『経験』という学びは、最高な「人生の教科書」です。人に騙された分、人の本質を見抜く技が手に入りました。人に裏切られた分、人との信頼を手に入れました。人に傷付けられた分、誰より思いやりを持てるように、なれました。弱音を吐けない苦しさは、誰より知っています。逃げ出せない辛さは、身をもって知っています。泣けないつくり笑いは、自分の首を閉め続ける事をしっています。何より、心から人を信じられない寂しさを、誰より知っています。最も嫌になるのは、自分で自分を信じられない哀しさを、本当に知っています。全てを乗り越え、今、あなたの心の声に耳を傾けます。言葉に出来ない、あなたの潜在意...
大切なものは、何ですか?心の奥深く、ずっとずっと下の方にしまってある、宝物。誰にも見つからないよう、誰にも傷つけられないよう、大切に大切にしまってある、宝物。子供の頃は、時々、覗いてみれたのに、大人になって、傷みや苦しみを知り、恐れをおぼえて、時には嫌な自分に出会って。隠して、隠して、隠して。やがて思い出す事もなくなり、忘れてしまった人もいるはず。魔法を使う練習したり、空を飛ぶ訓練をしたり、変身ベルトで変身してヒーローになる日を信じていた。『夢中』になれる、ゆとりも余裕も失って。見失った大切なもの。ちょっと、思い出してみませんか?あの頃に戻って、なりたい自分になる日を、一点の曇もなく信じていた、あの頃。小さい頃は、夢は叶うと信じていた。大人になって、夢は寝てみるものに変わってしまった。それが悪い訳じゃない。あの頃を思い出せたら、きっと元気になれるから。
言葉には、魂が宿ることを知っていますか?これを『言霊』(ことだま)と言います。言葉は、人を元気づけたり、喜ばせたり、傷つけたり、泣かせたり、時には命を奪う事もあります。だからこそ、大切に、慎重に扱う必要があるのです。だからこそ、選んで発する必要があるのです。でもね、もしも言葉はコミュニケーションの為の、ただのツールで、本当の意味を正しく受け取れてないとしたら?例えば、好きな人にリンゴをあげて「大好きなの」と言われたら、嬉しくなります。逆に、好きじゃない人にリンゴをあげて「あんまり好きじゃないんだよね」と言われて、気分を害する時もあります。不思議ですよね。その瞬間は、つい反応して、喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり。少し時間が経って、じっくり考えてみると「もしかして、ちがってたかも」って思えたら、次から聞こえ方が違ってくるから、ビックリ。大抵の人間関係のトラブルは、『聞く耳のクセ』(脳のクセ)だとしたら?人間関係、損しているかも。思っているより、人から愛されているかも。人間である限り、言葉のコミュニケーションツールを使い、言葉で脳は理解します。好きじゃない人も、好きになることもあったりするかも。そしたら、人生も世界も、今とは全くの別世界。信じられなかったら、私のところに来てください。一緒に人生を振り返ってみましょう。